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国分寺百貨店 スーパー登場前までごった返していた集合店舗 移 動: 孫の湯(東恋4) 養老の滝北口店(本町3) 星野模型店(本多1) 山崎商店(東元3) はたまん(本町2) 梨花苑(南町3) 白山房(本町3) 国分寺百貨店(〃) 時代を飾ったお店 多摩TV(本町2) 内野左官店 営業中: 名曲喫茶 でんえん(本町2) フジランチ(本町2) ろばや(本多1) 小料理 信濃(本町3) 1981年頃の国分寺駅北口と多摩湖線 トップへ 上の写真は市制施行当時の国分寺百貨店の入口で、当時のオーナーが町議会議員で応援の事でもあったのでしょうか?お祝いの花飾りが掲げられています。昭和39年(1964)で東京オリンピックが開催された年でその役1ヶ月後の11月3日でした。当時は集合店舗が少なく、中央線と西武線(多摩湖線・国分寺線)が結節するこの駅では周辺の買い物客でひったくりが出るくらい混んでいたと言われています。しかし昭和40年代に入ると近くにスーパー西友、オリンピック国分寺店が出来るなど商環境が変わってきました。消費者は徐々に個人店からスーパーへと移行していきました。 以下はみにこみ国分寺19号に掲載された記事を引用してあります。 みにこみ国分寺19号P3 「国分寺 今・昔 昭和39年頃の国分寺百貨店」(2003.10)より引用 再開発前にあったバザールKの前身の「国分寺百貨店」は昭和32年11月に開店しました。当時は木造建築で南・北の2棟で中央で通路で結ばれていました。そして天井は網入硝子がはめ込まれアーケードの様になっていましたが、後に冷房設備が入り天井はふさがりました。当時のお店は北棟大通り側北列から佃権(さつま揚げ)新井写真店(後に大黒屋履物店)、宮鍋(茶・海苔)、ふもとや(婦人服)、田中生花店、塩野商店。同じく南列は甲州屋(菓子)、天つる、汐船(加工品)、うさぎ屋(現マツヤ洋装生地店)、多根果物店、(中央通路)、なかやま(寿司・今川焼き)、金子洋服店、田中金物店でした。南棟北側の大通り側から、とらや椿山(和菓子)、なぎさや(加工食品)、ドール、中久化粧品店(中央通路)石川食品(後に多根)、白菊化粧品店、矢島青果店でした。南棟南側の大通り側から富士屋精肉店、豊国(菓子)、中久商店(雑貨)、鈴木鮮魚店、丸五食品(味噌等)、お茶金(乾物)になっていました。 昭和35年ごろの本町二丁目あたり みにこみ国分寺18号より トップへ
これは本町二丁目交差点から、国分寺駅(北口)方向を見た写真です。現在でいうと三菱UFJ銀行の国分寺支店前の本町二丁目交差点から今の交通広場方向を見た写真です。 駅方向の左角には「駄菓子屋」があって子供達の人気のお店で、その奥にはーンズなどの用品屋、米屋が並んでいました。その先は、「茜屋材木店」「内野家具店」へと続いていました。現在は十字路になっていますが、当時はこのように丁字路でした。右に見えるのは、「森田酒店」「パチンコホームラン」「板谷商店(文具)」「北田金物店」、「国分寺百貨店」「郊外土地」と続いていました。「空を方を見てみると、この頃は高い建物は無く、ほとんどが木造モルタルの2階建でしたので、街並みが整頓されていて 遠近感をとても感じることができます。ここで登場しています「国分寺百貨店」も木造モルタル造りでした。 CHSのIROIROサイト:人気サイト トップへ |