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季節を求め近場を散策 東京・芝増上寺

浜松町〜芝公園: 世界貿易センタービル 芝増上寺 東京タワー 浜離宮庭園

   芝増上寺のアクセス      トップへ

浜松町で電車を降り、まずは世界貿易センタービルに上がってこの辺りを確認。本来の目的は東京タワーでしたが、通り道にある芝増上寺によって見ることにしました。ビルを出て正面の通りを左に向かうとビルの間から東京タワーがが見えます。まっすぐ進むと街路灯に大門のタペストリーが並びます。その先には浄土宗大本山・増上寺の看板を掲げた大きな門が目に入ってきます。徳川家の家紋の横断幕が、徳川家菩提寺を物語っています。出掛けた時期がH25の年始だったので、正面に見える三解脱門の傍には、将棋の駒の形をした初詣の大きな看板がありました。この三解脱門をくぐると増上寺が見えてきます。

※三解脱門(さんげだつもん、重要文化財) - 戦災をまぬがれた建物の1つで、元和8年(1622年)建立の二重門(重層で、各層に屋根が付く門)。この門をくぐると、三毒(3つの煩悩、即ち貪、瞋、癡)から解脱できるとされる。内部には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されている。
左ー大門を過ぎると戦火を免れた芝増上寺解脱門が見えてくる   右ー三解脱門越しに芝増上寺と東京タワーの脚部が見える

   芝増上寺      トップへ

 芝増上寺は室町時代の1393年に現在の港区芝公園四丁目に創建されました。徳川家の菩提寺となるまで通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったということです。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移されました。 風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられています。現在の大殿は、昭和49年(1974年)の再建されました。


左ー浄土宗大本山だけあってかなりの規模   右ーこちらは祈祷所らしい

   徳川家霊廟      トップへ

 増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。 第二次世界大戦前には台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧国宝(建造物)に指定されており、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものでしたが、昭和20年(1945年)に2度の空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失しました。現在は台徳院霊廟の門4棟と、有章院霊廟二天門、文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)を残すのみであり、それらも現在は私有であり管理もままならず保存状態の悪さが目立っています。 焼け残った建築のうち以下のものが重要文化財に指定されている。

(参考資料参考/Wikipedia)

左ー昭和49年(1974年)の再建された本堂を階段辺りから広角レンズで撮る   右ー浄土宗の大本山だけあって堂内は豪華絢爛

芝増上寺と東京タワーという時代が異なる建造物が、不思議にマッチしている 

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