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昭和2年頃の国分寺駅北口航空写真 移 動: 国分寺駅北口の航空写真 2012再開発開始前の北口駅前 2013工事が始まった北口駅前 2015 建設が進む北口駅前
リンク:
大正5年の恋ケ窪新田
大正12年頃の国分寺村
昭和2年の北口駅前航空写真
戦時中の本多界隈の地図
国分寺駅北口今と昔
再開発で消えた思い出の景色
国分寺駅前大通り
本町二丁目交差点周辺
大学通り東栄会通り
第二次大戦前の国分寺駅北口の航空写真 トップへ
ふとした切っ掛けで知り合いの国分寺北口駅前の浅見京染店の浅見宥仁さんが昭和2年頃の国分寺駅口駅前の航空写真をお持ちとの事を知りました。他に掲載の大正12年頃の記事がありますので、この写真は5年近く後の風景という事になります。浅見さんのお話ではこの北口に飛行機乗りがいて本町上空を飛んだ時に写真を撮ったとの事です。その頃の飛行機といえば、おそらく低速の複葉機(主翼が上下に2段のもの)と思われます。当時は高層の建物と言えば左下に見える“山本医院”の洋館くらいの様でした。上端中央より右に当時の国分寺駅が見えます。今と大きく異なるのは建物の数だけではなく、当時は駅前といっても畑が目立ち、緑が非常に多いことが分かります。上の地図と合わせて想像すると想像が広がります。 写真上/提供 浅見京染店 浅見宥仁氏 2012再開発開始前の北口駅前 トップへ
こちらはGoogle Earthの大体同じ位置の航空写真です。いわゆる大通りは今と同じ曲がり方をしていますので殆ど幅も同じと考えられます。やはり現在での地図では、木々をはじめとする植物が左下を除けば殆ど見られません。かわいらしいかった駅舎も現在は利用客の増大に伴い駅ビルとなり、当時から見ればとてつもない大きさに見えます。昭和2年頃には当たり前だった低層の住宅や店舗は激減し左下の住宅街にまとまって見えます。上の昭和2年の写真では地面は殆ど土で雨水は地面を潤していた事だったのでしょう。 2013再開発工事が始まった北口駅前 GoogleEarthより トップへ こちらはGoogle Earthの大体同じ位置の航空写真です。いわゆる大通りは今と同じ曲がり方をしていますので殆ど幅も同じと考えられます。やはり現在での地図では、木々をはじめとする植物が左下を除けば殆ど見られません。かわいらしいかった駅舎も現在は利用客の増大に伴い駅ビルとなり、当時から見ればとてつもない大きさに見えます。昭和2年頃には当たり前だった低層の住宅や店舗は激減し左下の住宅街にまとまって見えます。上の昭和2年の写真では地面は殆ど土で雨水は地面を潤していた事だったのでしょう。 2015再開発地区の建設が進む北口駅前 GoogleEarthより トップへ 2015年頃の国分寺駅北口再開発の進捗状況を表している写真です。 上の写真は2015年頃の国分寺駅北口再開発の工事の状況です。最初の写真と違って写真の向きは 北が上となっています。この頃には、工事車両が入るための仮の道路ができています。そして東西に走る道が北に移動しています。この道が国分寺駅北口の正面の道となります。 写真左/Google Earthより 画像を南北180度回転してあります。 2019交通広場の工事が進む GoogleEarthより トップへ 国分寺北口の交通広場の地下駐輪場の建設当時の北口 GoogleEarthより 上の画像は2019年頃の国分寺駅北口の再開発の状況を上空から撮影したGoogleEarthのものです。すでにココブンジのEast&Westタワービルが完成しています。しかし、北口の交通広場の地下駐輪場の工事の様子が写っています。北側にあるのは仮説の建物(パチンコ店)で現在は東棟のB1に移転しています。 2020交通広場は完成間近 GoogleEarthより トップへ 国分寺北口の交通広場の地下駐輪場の建設当時の北口 GoogleEarthより 移 動: 国分寺駅北口の航空写真 2012再開発開始前の北口駅前 2013工事が始まった北口駅前 2015 建設が進む北口駅前
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昭和2年の北口駅前航空写真
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国分寺駅北口今と昔
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国分寺駅前大通り
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