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青梅〜奥多摩発見!!
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行ってみよう!三多摩周辺の見所 
Santama Chuou-Line&Keiou-Line Area Spot

移 動: 西多摩エリア/西多摩:青梅〜玉川上水 三多摩エリア/中央線沿い:昭和記念公園〜井の頭公園 三多摩エリア/京王線沿い:多摩動物公園〜仙川 三多摩周辺の鉄道の歴史 交通事情の変化と踏切

リンク: 東京近郊の大自然:高尾山 檜原村・奥多摩周辺のスポット 檜原街道/払沢の滝〜神戸岩 奥多摩湖(小河内ダム)  奥多摩駅エリア 御岳渓谷遊歩道

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西多摩:青梅〜玉川上水 中央線エリア:昭和記念公園〜井の頭公園 京王線エリア:日野〜登戸

 ■西多摩エリア/西多摩:青梅〜玉川上水   トップへ

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このエリアの鉄道網

 東京都は、東西に長く千葉方向の東はいわゆる「都心部」で中央部から西は徐々に自然が山と共に広がってきます。この西部にある青梅市は東側は住宅街が広がり、西側は山々が始まり、自然を体感できる環境に溢れています。
 青梅の最西端は御岳周辺で、その西側は奥多摩町となります。この青梅線の軍畑駅あたりから見所が多く、軍畑大橋の西側から多摩川に沿って奥多摩町境近くまで伸びる「御岳渓谷遊歩道」が清流と渓谷の美しさを体感できます。
 下の地図は羽村がありますが、ここにある羽村堰は多摩川から取り込んだ水を、拝島、立川、小平、小金井を経て四谷木戸まで、江戸時代爆発的に増加していく江戸庶民たちの飲料水を賄うために造られた「玉川上水」があり、この上水は現在も一部暗渠になったところもありますが、四ツ谷の大木戸まで流れています。

リンク:JR青梅線の駅と周辺:奥多摩駅〜日向和田駅 各駅周辺の見どころ

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当時、中央線や青梅線・五日市線で2008年まで活躍した201系電車と現在の車輌 UMezB_OumeLineOld
遠くにある川井駅に向う青梅線。なつかしい。全体がオレンジ色の201系電車。

周辺の見どころリンク


 ■ 北多摩エリア/中央線沿い:昭和記念公園〜井の頭公園 トップへ


中央線沿い:拝島〜西荻窪

 東京都の西部を通る中央線の前身は、明治時代に開通した「甲武鉄道」で、東京の多摩地方へむかう初めての鉄道でした。そのため、現在の様に人口や建物などが少なかったため、用地買収も少なく済み、東西へ真っ直ぐに建設することができました。中央線の直線の東端は東中野辺りで、西端は立川駅の少し手前となっています。明治時代後半には、国分寺あたりには別荘地が幾つもあったと言われていて、国分寺駅南口にある「都立殿ヶ谷戸庭園」もその一つです。
 立川駅や国分寺駅、武蔵境駅、吉祥寺駅には私鉄の支線も開設され鉄道網が広がりました。中央線の前身の甲武鉄道が明治時代に敷かれたこともあり、各鉄道が結節している駅周辺はさらに人々が集まり繁栄しました。
 因みに立川駅は、青梅線・五日市線・南武線と接続しています。国分寺駅は、西武国分寺線・多摩湖線が接続していますが、1920〜1976年までは東京競馬場に向かう「下河原線」が構内に引き込まれていました。武蔵境は多摩川競艇へ向かう西武多摩川線が、吉祥寺駅からは、渋谷駅へ向かう京王井の頭線が接続しています。

周辺の見どころリンク

 ■三多摩エリア/京王線沿い:多摩動物公園〜つつじヶ丘 トップへ

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このエリアの京王線の路線図

 武蔵國の国府であった府中は歴史のある街です。京王線は、1913年(大正2)4月にに京王電気軌道が笹塚~調布間が開通しました。その後、順次路線を延伸、1916年10月に新宿~府中間が開通、1926年12月には府中~東八王子間(1925年3月開通)の営業をしていた玉南電気鉄道株式会社を合併し、新宿~東八王子間の統一営業を開始しました。(引用:京王電鉄50年史より)
甲武鉄道が新宿〜立川間に敷設の計画があった時、府中を通る計画がありました。当時の車両は蒸気機関車で走行するのに沢山の煤煙を出しました。府中は養蚕が盛んであったため、この煤煙が産業に悪影響を与えると猛反対にあり北側に通ることになったと言われています。甲武鉄道開通の1889年(明治22)に遅れること約36年のことでした。
 この地区の京王線は、調布駅から「京王相模原線」、高幡不動から「京王動物園線」が分岐し各駅や人気施設へ繋がっています。

周辺の見どころリンク

   三多摩周辺の鉄道の歴史      トップへ

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みにこみ国分寺40号P10掲載写真と国産の原型になった英国製1号機関車(鉄道博物館展示車輌)
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国産化された
860型蒸気機関車(wikipediaより)

 明治22年(1889)から新宿〜立川間の開業し鉄道が敷かれるなど発展した市域となっています。明治時代当初は最初に東西に「甲武鉄道(後の中央線)」が開通してから、川越線(現在の西武鉄道)が明治27年(1894)開業しました。この三多摩地区には、歴史的な名所や旧跡があり、ますます繁栄に弾みがつきました。京王線の前身である京王電気軌道株式会社は、1910(明43)年9月に設立され、3年後の1913(大2)年4月に笹塚~調布間が開通しました。その後、順次路線を延伸、1916年10月に新宿~府中間が開通しました。  さて京王電鉄は、京王電鉄前身の前身である京王電気軌道株式会社で、1926年12月には府中~東八王子間(1925年3月開通)の営業をしていた玉南電気鉄道株式会社を合併し、新宿~東八王子間の統一営業を開始しました。一方、井の頭線は1933(昭8)年8月に帝都電鉄株式会社により渋谷~井の頭公園間が開通し、翌1934年4月には吉祥寺までの全線が開通しました。(京王電鉄50年史より)

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多摩地区のJRと各私鉄の車両の配色(拡大可)

 当初甲武鉄道の路線の候補地とされていた府中方面は、遅れること約20年のことでした。人口増加とともに、物資の需要が高まり、住宅地が郊外まで広がりました。それに伴い私鉄の路線が範囲を広げ現在に至っています。
 西武鉄道の西武多摩湖線は、昭和40年頃に北国分寺駅がありました。しかしモータリゼーションの発達と乗降客の殆どを占めていた日立トランジスター工場や、コクリュウ化粧品が移転し需要減って、バス路線もあったために廃駅となりました。

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駅ビルができる前の国分寺駅構内

 JR立川駅では、南武線が結節していますが、JR国分寺駅ではJR中央線、西武国分寺線、西武多摩湖線が結節しています。以前は東京競馬場に向かう国鉄下河原線(しもがわらせん)があり、元は府中を流れる多摩川の砂利を運ぶ鉄道でした。国分寺駅の構内が広いのも沢山の鉄道が入線したからでした。国鉄時代には国分寺駅の西側の花澤橋の付近にはポイントの操車場と戦後まで走っていた蒸気機関車の水補給?の溜池のようなものがありました。

 西隣の西国分寺駅は昭和48年(1973)4月に開設交差する武蔵野線の乗換駅として開設された中央線比較的新しい駅です。この中央線の西国分寺駅にはもともと貨物線の「国鉄武蔵線」が交差していましたが、現在も貨物線・通勤電車が通っていて、平行に通る府中街道から走行車両を目にすることがあります。

   交通事情の変化と踏切      トップへ

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昭和記念公園:昭和の時代展展示の「ミゼット」と「トヨタ カローラ」

 鉄道は、人々の移動を容易にしてくれました。しかし昭和の戦後になると、商業の発展と共にモータリセーションの波がやって来ました。今まで広いと思っていた大通りが、自動車が通ることによって徐々に狭くなって来ました。昭和30年代にはミゼットなどの軽貨物トラックが発売され商店などでの利用が始まりました。後の和昭33年(1958)には、大衆車スバル360が販売されました。

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マツダキャロル

 昭36年(1961)には、小型車トヨタパブリカが発売され、和昭37年(1962)には、マツダキャロルが発売されました。昭40年(1965)には、当時の自家用車ではゆとりを持った普通車のトヨタカローラが発売されました。昭42年(1967)軽としては高性能なホンダN360が発売されるなど、「マイカーブーム」がやって来ます。
 こんなブームの影響で、今までゆとりのあった道は自動車ば増えた分狭く危険になちました。鉄道に関しては人口増加と共に今までは時間を開けて運行していた物が、本数が増え踏切渋滞が起こって「開かずの踏切」が各所で発生しました。遮断棒を乗り越えて踏切内に立ち入るなど非常に危険な状態が起こっています。
 こんな社会情勢の対策として鉄道の高架が各所で行われていますが、まだまだ交通渋滞の原因となっています。


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