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![]() 国分寺崖線と恋ケ窪谷 移 動: 国分寺崖線 恋ヶ窪谷 国分寺の用水と恋ケ窪村分水 リンク: 国分寺のお話 国分寺崖線と市内の坂道 国分寺が水源の野川 お鷹の道と湧水 武蔵国分寺ツアー 恋ヶ窪樹林地 ![]() 国分寺崖線 トップへ 現在よりさかのぼること約10万年前、現在、府中を流れる多摩川は広い扇状地を作っていました。大雨による洪水などで川筋はその度に流れを変えました。その頃、恋ケ窪は多摩川の流路にありました。 恋ケ窪谷 トップへ
西国分寺駅の東側(東福寺周辺)は、自転車で上るには辛いくらい急に勾配が落ちています。当時はこの崖から湧き出た水や、小川などが多摩川本流に滝となって流れ込んでいました。この小川に長い年月削られ谷ができました。これが東福寺東側に広がる窪である恋ケ窪谷になりました。江戸時代の明暦3年(1657)には玉川兄弟がひいた玉川上水より分水がおこなわれ、この地にも「恋ケ窪用水」許可されました。引かれ田畑から農作物も収穫することができました。しかし、窪地がゆえの冠水で悩まされ、下水道が整備されてから宅地化が行われ水田は姿を消していってしまいました。この高低差から湧き出る清水を利用復活するため、平成10年に東京都と国分寺市は姿見の池「国分寺姿見の池緑地保全地域」として整備しました。 恋ケ窪村分水 トップへ
恋ヶ窪用水路跡は、この恋ヶ窪用水路周辺緑地の北側で見ることができます。享保年間(1716~1736)新田開発が盛んに行われ、市内にも多くの新田ができましたが、いずれも水利がなく、玉川上水からの分水に頼っていました。 移 動: 国分寺崖線 恋ヶ窪谷 国分寺の用水と恋ケ窪村分水 リンク: 国分寺のお話 国分寺崖線と市内の坂道 国分寺が水源の野川 お鷹の道と湧水 武蔵国分寺ツアー 恋ヶ窪樹林地 CHSのIROIROサイト:人気サイト トップへ |