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![]() 季節を求め近場を散策 東京・芝増上寺
移 動: 芝増上寺のアクセス 東京タワー近くの芝増上寺 芝増上寺は徳川家霊廟 リンク: 世界貿易センタービル 芝増上寺 芝増上寺 浜離宮庭園 東京タワー
芝増上寺のアクセス トップへ
芝増上寺 トップへ 芝増上寺は室町時代の1393年に現在の港区芝公園四丁目に創建されました。徳川家の菩提寺となるまで通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったということです。貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移されました。 風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられています。現在の大殿は、昭和49年(1974年)の再建されました。 徳川家霊廟 トップへ 増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られています。 第二次世界大戦前には台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧国宝(建造物)に指定されており、その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものでしたが、昭和20年(1945年)に2度の空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失しました。現在は台徳院霊廟の門4棟と、有章院霊廟二天門、文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)を残すのみであり、それらも現在は私有であり管理もままならず保存状態の悪さが目立っています。 焼け残った建築のうち以下のものが重要文化財に指定されている。 (参考資料参考/Wikipedia)![]() ![]() 昭和49年(1974年)の再建された本堂を階段辺りから広角レンズで撮る。浄土宗の大本山だけあって堂内は豪華絢爛 ![]() 芝増上寺の右側面の様子 ![]() 芝増上寺と東京タワーという時代が異なる建造物が、不思議にマッチしている
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