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国分寺周辺の野鳥
国分寺周辺の野鳥

超望遠レンズなどで撮影した、身近な野鳥や、水辺の野鳥などをご覧になれます。

武蔵国分寺の寺域/仁王門・薬師堂エリア

     
     
武蔵国分寺名所ツアー

武蔵國分寺周辺マップ ▲top


武蔵国分寺の寺域とお鷹の道遊歩道周辺

 武蔵国分寺の寺域には本堂、万葉植物園、国分寺楼門、国分寺薬師堂があります。こちらでは、西にある国分寺に国分寺仁王門と国分寺薬師堂を写真と現地の看板の説明文等でご案内いたします。

市指定重宝 国分寺仁王門  ▲top


太い格子見え辛くなっている仁王像

 武蔵国分寺仁王門は、現武蔵国分寺の西側の国分寺崖線の中腹にあります。仁王門の入口から、石段が続き石段を一番上まで登ると薬師堂があります。このように仁王門と薬師堂はほぼ一直線状に配置されています。仁王門は、寺院を守護する金剛力士像を安置した寺院の門となっています。


仲見世側の金龍像

 金剛力士像は、外敵を払う守護神で、仁王門のには左に「阿形あぎょう」右に「吽形うんぎょう」の金剛力士像が安置されています。市指定重宝じゅうほうの為に太い格子で周りを囲まれていて、残念ながら肉眼でも全体の形を見ることが難しくなっています。
 観光資源をより魅力的にするなら、雷門の表側に安置されている「風神像・雷神像」や、仲見世側に安置されている「天竜像・金龍像(左の写真は金龍像)」のように、囲みを太く暗い色の頑丈な金網で保護されているといいと思いました。浅草と違い防犯上の問題があるのならば、格子を暗い色にして、細くすると良く感じました。折角の集客力のある重宝ですので、見学者に本来の重宝を素晴らしさを見てもらえると思うのですが。


国分寺のお寺の西側の山腹に仁王門があります。

 国分寺仁王門の由来 (国分寺市ホームページ:仁王門より引用)▲top

 「天平13(741)年,聖武天皇しょうむてんのう鎮護国家ちんごこっかを祈念して,諸国に国分寺を建立するように命じました。現在の国分寺市が含まれた武蔵国では,国府(現府中市)に近く,都へ通じる東山道とうざんどう武蔵路むさしみち沿いの広大な平地と東西に連なる国分寺崖線がいせんふもと,豊かな湧水をもつ現在の西元町一帯が好所として選ばれ,東山道武蔵路を挟んだ東西に「僧寺」と「尼寺」が建立こんりゅうされました。  武蔵国分寺は,国府とともに政治・文化の中心として栄えましたが,元弘3(1333)年の新田義貞による鎌倉攻めの過程で起きた分倍河原の合戦により焼失し,その後,義貞により薬師堂が再建されたと伝えられています。
 仁王門は,寺を守護する仁王像を左右に安置した門で,現在の薬師堂の前に建つ仁王門は,寺伝によれば,宝暦年間(1751~1764年)の建造で,使用している木材の一部は,義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられています。8本の柱はそれを裏付けるようなほぞ穴が残り,風蝕を受けてはいますが,太く力強い姿を残しています。門内に安置されている2体の仁王像は高さ約2.5mあり,胎内の木札に享保3(1718)年造立と書かれています。
 仁王門は,寺を守護する仁王像を左右に安置した門で,現在の薬師堂の前に建つ仁王門は,寺伝によれば,寶暦ほうれき年間(1751~1764年)の建造で,使用している木材の一部は,義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられています。8本の柱はそれを裏付けるようなほぞ穴が残り,風蝕を受けてはいますが,太く力強い姿を残しています。門内に安置されている2体の仁王像は高さ約2.5mあり,胎内の木札に享保3(1718)年造立と書かれています。」
本文:国分寺市ホームページ:仁王門より引用



西側の石段を上り薬師堂までの途中の階段から下の景色。仁王門より南側の史跡公園方向を見た景色

静けさを感じる仁王門の雪景色。

 市指定重宝 国分寺薬師堂  (本文は現地看板より引用) ▲top


仁王門より北側の薬師堂へ続く階段から見た景色。 雪帽子を冠った薬師堂と石灯籠。右は鐘突き堂

 「薬師堂に安置されている木像薬師如来坐像やくしにょらいざぞうは、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期の製作と考えられ、作者は不明です。
 寄木造の漆箔仕上げで、像高は約191.5センチメートルあります。蓮華座れんげざに坐し、印相は右手が施無畏せむい印、左手には薬壷やっこを持っています。台座および光背は後代の補作と思われます。
 薬師如来は、日光にっこう月光菩薩がっこうぼさつ脇侍わきじとし、眷属けんぞくとして十二神将を従えていますが、当国分寺の十二神将は、頭部の墨書きから元禄二年(1689)の作であることが分かっています。
 薬師堂は、建武二年(1335) に新田義貞の寄進により国分僧寺の金堂跡付近に建立されたと伝えられているもので、その後、享保元年(1716)に修復されましたが、宝暦年間(1751〜1763) に現地で再建されたものです。
 堂内正面の長押なげしには、明和めいわ元年(1764)奉献された深見玄岱ふかみげんたいの筆になる。「金光明四天王こんこうみょうしてんのう護国之寺ごこくのてら」の寺額がかけられていますが、この寺額は東大寺西大門の勅額を模したものです。」  平成四年三月 国分寺市教育委員会   (現地国指定重要文化財木像薬師如来坐像・市指重宝 国分寺薬師堂 説明板より引用)


薄らと雪が積もった仁王門の石段上の国分寺薬師堂

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金剛力士像と薬師如来  ▲top


 武蔵国分寺に関わるお菓子  ▲top


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