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国分寺駅北口/大学通り東栄会通り 移 動: 昭和35年頃の東栄会通り 2005年頃の東栄会通り 2008年頃の東栄会通り 再開発完了後の東栄会通り2018 大学通り東栄会の景色 リンク: 昔の国分寺駅と北口改札 北口駅前大通りの昔と今 本町二丁目交差点のの昔と今 駅前交差点東側の東栄会 昭和35年頃の国分寺駅大学通り東栄会通りトップへ 大学通りの由来 トップへ
国分寺駅北口の東に伸びる商店会は、「東栄会」という名称でこの通りは「大学通り」と呼ばれていました。昭和31年(1956)に国分寺駅に南口が開設されるまで、国分寺駅は北口しかなく、東側にある「東京経済大学」に向かうには、この東栄会の東へ伸びる道を通り、中央線ガードを通っていくルートしかありませんでした。これが「大学通り」の由縁となっています。人によっては「大学通り東栄会」と呼んでいた人もいました。 娯楽が少なかった時の花形「映画館全盛時代」 トップへ
上の2枚の写真は、みにこみ国分寺22号に掲載されました、国分寺駅北口大通りを東西に走る道路の西側から撮影したものです。一番上の写真は、昭和36年頃に本町二丁目交差点近くにあった田中順成堂の田中丈夫氏が撮影したものです。下の写真は、平成17年(2005)に筆者が撮影したものです。この時点では、注目されるのは、当時娯楽と云えば映画館が流行っていて、当時では、国分寺二中近くの「東映映画館」、本町二丁目北信号の西の現在のファミリーマートの場所にあった「国際映画館」、そしてこの道の奥に見える建物が『名画座』でした。 時代とともに変わってゆく街 トップへ この時はまだまだスーパーマーケットの時代は来ていませんが、大学通り(東栄会)には、のちに『西友』が建設されます。この時代には、本町4丁目にはOlympicショッピングセンターがあり、商店街の商店の脅威になりこの辺りから精肉店・鮮魚店・青果店が徐々に減っていきました。減った個店に対して「スーパーサンエー」など小規模の小型スパーが所々に開店しました。 写真の縦型の看板の機万呉服店の場所に後に建設されました。開店時呉服の機万は西友の西入口(現在のスタバ)の場所にありました。 時間がゆったり流れた昭和30年代 トップへ この駅前交差点の東南の角には駅前には珍しく柳があり風にそよぐ枝葉が特徴的な風景でした。右は再開発前に『マクドナルド』があった場所で、この時は食堂『三松屋』がありました。ちょうど食事の時間帯が終わり、三角巾をして白衣を着た二人の従業員が見えます。おそらく夜の調理の下ごしらえをしている様です。 自動車普及の前の広々とした道 トップへ
写真の手前からラビットと思われるスクーターが「パタパタ・・・」とポンポン蒸気船のおもちゃのような煙を出しながら、東へ走り去る姿が蘇ります。スクータの人はノーヘルですが、ヘルメット装着義務はこの写真から約15年くらい先の1975年からはじまります。 2005年頃の国分寺駅大学通り東栄会通りトップへ 2008年頃の国分寺駅大学通り東栄会通りトップへ 上の写真は、ほぼ同じ場所から撮影した2005年の東栄会の写真で、再開発には全く着手されていない風景です。ここには、再開発前まであった『マクドナルド』や『てんや』などが写っています。この右側の一角が再開発地域となります。 2018年の再開発終了後の東栄会通り トップへ 駅前交差点〜大学通り東栄会の景色 トップへ 2018.04の開店したEastの大学通り東栄会からの西(駅)方向の景色 写真:Akira Shiono 2013.03.28の西友前の駅方向の景色で、当時はゲームセンターがありました。 写真:Akira Shiono 2013.08の現在のcocobunjiEastあたりと開発前の大学通り 写真:Akira Shiono 2017.04の大学通り東栄会からの工事中の西(駅)方向の景色 写真:Akira Shiono 国分寺駅北口のお話し 1 2 3 4 次は・国分寺駅北口の今と昔 移 動: 昭和35年頃の東栄会通り 2005年頃の東栄会通り 2008年頃の東栄会通り 再開発完了後の東栄会通り2018 大学通り東栄会の景色 リンク: 昔の国分寺駅と北口改札 北口駅前大通りの昔と今 本町二丁目交差点のの昔と今 駅前交差点東側の東栄会 CHSのIROIROサイト:人気サイト トップへ |