崖線の各湧水と合流しの東へ向かう野川
国分寺市内を流れる野川
一里塚周辺の野川
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日立製作所中央研究所から湧き出た清水は、JR中央線、多喜窪通りの下を潜り、住宅街を抜けます。国分寺を府中を繋ぐ、国分寺街道の「一里塚」で野川の周りの空間が開いて明るくなります。下の写真は、京王バスが通る国分寺街道を通る写真ですが、ここには「一里塚橋」がちょうど桜の気が植わっている、ガードレール部分がそれに当ります。

桜の咲く時期の京王バスで桜の辺りが「田用水堰」で正面のガードレールが野川に架かる「一里塚橋」。
一里塚方向へ流れる野川と名所
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護岸された住宅街ギリギリの野川は、この奥で両側を住宅街で挟まれていましたが、この辺りでは、北側(左岸)に道路が通り少し広々としています。
下の写真は、国分寺駅から府中へ向かう京王バスの通りの国分寺街道の坂を下り切ってカーブするあたりで、西方向へ伸びる道です。入り口の看板にありますように、武蔵国分寺跡やお鷹の道の入り口となっています。
左側に田用水堰の石碑が見えますが、その先の橋は、この野川に架けられた不動橋です。
(地図ー不動橋ポケットパーク設置マップより拡大)

川沿いに伸びる道を進むと、急坂があり左に折れた所に緑橋があります。

左は、田用水堰記念碑と、不動橋北側の春の景色。

不動橋の向かい(北側)には、この不動明王の石碑が祀られています。

不動橋ポケットパークには国分寺市観光協会の野川の説明板が設置されています。
写真撮影:NikonD750+Nikkor AF-S24-85mmVR
野川と真姿の池湧水群からの清水の合流
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日立製作所中央研究所の源流からの住宅街の水路を流れてきた野川と、国分寺崖線の麓から湧き出た「真姿の池湧水」がここ一里塚で合流します。国分寺街道の一里塚橋の西側の国分寺崖線側には、正12年(1923)3月竣工記念の「田用水堰記念の石碑」があり、この堰の南側で湧水が合流します。
野川は、ここでクランク状に曲がり、堰に流れていきます。この堰の南側で東側に流れが折れ曲りますが、ちょうど南西の角辺りに真姿の池湧水が流れ込んでいます。

「田用水堰」の景色で突き当たり左から野川が流入してきます。

この堰で野川と湧水が流入して野川の下流へと流れて行きます。

この堰の南側で真姿の池湧水群から流れ出た清水が流入して野川の下流へと流れて行きます。
国分寺街道の一里塚橋を下を通る野川
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日立中研から流れ出た野川の最初の橋は「押切橋」で左から右へと流れ込みます。
一里塚橋の上流の田用水堰で一緒になった、野川と湧水は、この橋の下流では1本の川となって下流へと流れていきます。
東元町から府中の境まで、国分寺街道は昔のままの道路幅で、車道でひとがすれ違うのが非常に危険な場所となっています。特にこの一里塚橋辺りの非常に狭く、府中に向かって橋の左側の歩道は人がすれ違うには、カニ歩きしないと通れない状態です。さらに狭く危険なのは、国分寺駅にむかうこの橋の左側には、歩道がなくガードレールのみで危険なので歩行者は、この一里塚橋の上流側にある「不動橋を」渡って迂回して通行しています。
下のあるのはこの橋から見た、野川の下流側です。現在は、駐車場や住宅がたちならんでいます。50年以上前は、このあたりの景色は水田が広がっていました。上流の不動橋近くにある「田用水堰記念」の石碑が、当時水田に水を潤していた証拠になるのでしょうか。

護岸された野川の一里塚周辺の景色で、時は流れ右岸は駐車場に変わっています。
写真撮影:NikonD750+Nikkor AF-S24-85mmVR
国分寺市内を流れる野川

国分寺市内を流れる野川
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