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本多祥應寺の歴史 本多花まつり32回(2013)は 34回(2015) 35回(2016) 36回(2017) 37回(2018) 38回(2019) 伝祥応寺跡![]() 伝鎌倉街道丘から国分寺市本多へ トップへ 再興300年 本多祥應寺の記念碑より 本寺は鎌倉中期国分尼寺跡(国分寺市西元町・黒金公園)の北丘に起こる。開山由緒は不明であるが、阿弥陀信仰の盛んな寺院であった。ある時古址より本尊と思われる阿弥陀様の鉄仏が掘り出され、黒鉄のお姿であったことから村人は、かの地を「黒金(黒鐘)」と称す。鉄仏は六所宮(大國魂神社)に遷座したのち、明治期の神仏分離により他の寺院に移された。 平成27年(2015)本寺は再興により300年を迎えるにあたり、老朽化や耐震構造の問題をかかえた本殿を再興すべく、かの痛ましき東日本大震災の苦境を経て現住晴敬智悛禅師、ならびにだん檀信徒の敬虔なる菩薩心と浄財を基に本殿再建、山門新築工事の大事業を成就した。同年5月吉日、黄檗宗大本山より、別格地の寺格を賜り今日の偉観をあらわした。 ![]() 六角堂と納骨堂 トップへ ![]() 連雀通り沿いに完成した六角堂とその裏に見えるのは武蔵陵苑(納骨堂) ![]() ![]() 武蔵陵苑と祥應寺境内案内図 ![]() 「ぶんじ花まつり」の日に30m上空から見た「祥應寺境内の鳥瞰写真」。右が六角堂(超広角レンズのために遠近感が誇張されています) 撮影:NikonD810+AF-S NIKKOR 16-35mmf VR,AF-S NIKKOR 24-85mmVR CHSのIROIROサイト:人気ページ トップへ |