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本多祥應寺の歴史

本多花まつり32回(2013)は  34回(2015)  35回(2016)  36回(2017)  37回(2018)  38回(2019)  本多祥應寺の歴史

伝鎌倉街道から国分寺市本多へ  ▲top

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本多祥應寺の本堂とGoogleMap
   本多祥應寺は、東京都国分寺市本多4丁目2−2にあるお寺です。境内には、きわだ斎場があり、2019年には、境内の東側に六角堂や、多摩地区初の納骨堂が完成しています。4月上旬には「ぶんじ花まつり」が開催され大勢の人で賑わいます。

  再興300年 本多祥應寺の記念碑より  

 本寺は鎌倉中期国分尼寺跡(国分寺市西元町・黒金公園)の北丘に起こる。開山由緒は不明であるが、阿弥陀信仰の盛んな寺院であった。ある時古址より本尊と思われる阿弥陀様の鉄仏が掘り出され、黒鉄くろがねのお姿であったことから村人は、かの地を「黒金くろがね(黒鐘)」と称す。鉄仏てつぶつは六所宮(大國魂神社)に遷座したのち、明治期の神仏分離により他の寺院に移された。
 享保2年(1717)国分寺村の名主本多儀右衛門が古趾こ し本寺の再興を発願。黄檗宗おうばくしゅうの僧恢門道頂禅師を再興開山を懇請し、寺社奉行より許可を得る。享保11年(1726)本寺を本多新田の菩提寺とするべく、本寺初代太洲元皓禅師ならびに新田開発者によって古趾より現今の地に遷され、古趾にあやかり山号を「黒金山」と号す。時同じくして万葉集で詠まれる「児の手柏このてかしわ」の古木が古趾より移植され、1本は境内に現存し、枯死の1本は地蔵尊となり昭和7年(1932)に開眼した。  本寺の伽藍は、再興当初は小規模の観音堂であった。文政9年(1826)本寺重興紫雲達瑞禅師、ならびに村人の奉公により木造殿が建立されたが、昭和16年(1941)に消失。本殿を再興すべく本殿中興英信仁宗禅師、ならびに檀信徒の尽力により昭和27年(1952)に鉄筋造本殿が建立された。

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本多祥應寺境内にある記念碑

 平成27年(2015)本寺は再興により300年を迎えるにあたり、老朽化や耐震構造の問題をかかえた本殿を再興すべく、かの痛ましき東日本大震災の苦境を経て現住晴敬智悛禅師、ならびにだん檀信徒の敬虔けいけんなる菩薩心と浄財を基に本殿再建、山門新築工事の大事業を成就した。同年5月吉日、黄檗宗大本山より、別格地の寺格を賜り今日の偉観いかんをあらわした。
 しかれば本寺開山再興より関わる先人の苦労と遺徳を偲び、従古より伝わる阿弥陀信仰の板碑(古趾より出土したうちの二基)を復元するとともに慈に謹んで記念碑を建立するものである。
為當山有縁無縁三界萬霊追善供養  平成28年 秋彼岸 祥應寺     本多祥應寺境内にある記念碑より引用

六角堂と納骨堂  ▲top

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連雀通り沿いに完成した六角堂とその裏に見えるのは武蔵陵苑(納骨堂)
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武蔵陵苑と祥應寺境内案内図 19BHM_Bird'sEye30m
「ぶんじ花まつり」の日に30m上空から見た「祥應寺境内の鳥瞰写真」。右が六角堂(超広角レンズのために遠近感が誇張されています)
撮影:NikonD810+AF-S NIKKOR 16-35mmf VR,AF-S NIKKOR 24-85mmVR

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