零戦展示と日本の戦闘機 リンク: 所沢航空記念公園 日本の戦闘機 零戦展示(〜2013.8迄)所沢・所沢航空発祥記念館2F/日本の戦闘機 トップへ
【国産飛行機の系譜】 日本陸軍 三式戦闘機「飛燕」(液冷エンジン) トップへ 三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発し、1943年(昭和18年)に制式採用された戦闘機である。開発・製造は川崎航空機により行われた。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である。ドイツの液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40を搭載した、当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機である。最高速度590km/hを発揮し、ニューギニアやフィリピンで連合軍と戦い、本土防空戦にも投入された。しかし基礎工業力の低かった当時の日本にとって不慣れな液冷エンジン-ハ40は生産・整備ともに苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られる。ハ40の性能向上型であるハ140のエンジン生産はさらに困難であり、これを装備する予定であった三式戦闘機二型はわずか99機にしかエンジンが搭載できず、工場内に首無しの三式戦闘機が大量に並ぶ異常事態が発生した。そこで星型空冷エンジンを急遽搭載した日本陸軍最後の制式戦闘機、五式戦闘機が生産された。 和製メッサーシュミット トップへ 本機は、太平洋戦争に実戦投入された日本軍戦闘機の中では唯一の液冷エンジン装備機である。当時、同盟国であったドイツのダイムラー・ベンツ社製DB 601エンジンは、Bf 109Eに搭載された1000馬力級航空エンジンであった。日本陸軍はこのDB 601をライセンス生産し、ハ40として三式戦闘機に搭載した。空冷エンジンが主力であった日本軍機の中にあって、本機の外形は水冷エンジン装備機特有の空力学的に滑らかで細身なデザインを持つ。開発者の土井によれば、出力が同じ場合、液冷戦闘機の抵抗面積は空冷戦闘機に比べて20%程度も減少し、速度は6%向上する。ただしラジエーターを要する分重量が増すのが欠点である。
その搭載エンジンから「和製メッサー」とも呼ばれたが、エンジンとのちに本機の一部が装備したMG 151/20機関砲以外はBf 109と全く別の設計である。機体設計は川崎設計陣が独自に行ったものであり、左右一体型の主翼と胴体の接合法、ラジエーター配置、主脚構造などがBf 109と大きく異なる。内部構造的には共通点が少ない。 トップへ CHSのIROIROサイト:人気サイト トップへ |