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小石川後楽園の場所
小石川後楽園の歴史
苑内散策
大堰川周辺
屏風岩
通天橋
得仁堂
大泉水と蓬萊島 リンク: 小石川後楽園北エリア 小石川後楽園東エリア 新宿御苑北エリア 新宿御苑南エリア 芝増上寺 東京タワー 浜離宮庭園 小石川後楽園の場所 トップへ 小石川後楽園はの最寄り駅は、JR中央線、東西線か都営大江戸線、有楽町線の飯田橋駅、丸ノ内線の後楽園駅となっています。東側の入口は封鎖され、入園は西側の入口のみとなりますので、水道橋駅より飯田橋駅のほうが近くなっています。 分かり易く言えば、東京ドームの隣にあり、
ドームの放送が苑内東側ではハッキリ聞こえたりします。
所在地は、東京都文京区後楽一丁目で、広さは約7万㎡あります。東京ドームが約4万6千㎡ですので、二周りくらい大きいといえます。 ![]() 特別史跡と特別名勝の小石川後楽園 トップへ 【小石川後楽園の歴史】江戸時代初期、寛永六年(1629)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の屋敷の後園として造った物で、二代目藩主の光圀の代に完成した庭園です、光圀は造園に際し、明の儒者である朱舜水(しゅしゅんすい)の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後(おく)れて楽しむ」から後楽園と名づけました。 庭園は池を中心にした「回遊式泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。そして、これらによって湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。 この池は元々小石川大地の先端にあり、神田上水の分流を引き入れ造園されました。また光圀の儒学思想の下に造園されおり、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。 なお、後楽園は昭和二十七年三月、国の文化財保護法により特別史跡及び特別名勝に指定されています。特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、都立公園では浜離宮とここの二つだけです。全国でも京都の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院の五ヶ所だけ出す。 東京都 小石川後楽園 木製看板:特別史跡 特別名勝 小石川後楽園より 苑内散策 トップへ
東京都内の庭園文化財庭園は9ヶ所あり、浜離宮恩賜庭園、旧芝離宮恩賜庭園、六義園、旧岩崎邸庭園、向島百花園、清澄庭園、旧古河庭園、殿ヶ谷戸庭園とこの小石川後楽園となります。 大堰川(おおいがわ) トップへ
京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなんだ、もので三代将軍家光がしばしば来園し、大泉水の設計と共に種々助言を与えたものと言われている。両岸には*蛇籠を伏せ、神田上水の水を暗渠により引き入れ、江戸時代には清喜流れで遠景を引き立てていた。
屏風岩(びょうぶいわ) トップへ 屏風のように真っすぐ屹立していることから屏風岩と呼ばれる。三代将軍家光がしばしば訪れた際に、この近くのまつの枝に手ぬぐいを掛け、河原の石に腰をおろしたといわれる。 通天橋 トップへ 京都・東山東福寺の「通天橋」にならい、大堰川の渓流に朱塗りの虹橋をかけたもので、この付近の楓の紅葉は趣が深いところである。 得仁堂 トップへ 光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、 伯夷・叔斉の木造を安置した堂です。
大泉水と蓬萊島 トップへ この庭園の中心となる景観。蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てて造られました。昔はこの池で舟遊びをしたといわれています。 小石川後楽園 1 2 3 次は・小石川後楽園北側
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