5月下旬の東京・府中郷土の森博物館
移 動:
5月下旬の郷土の森博物館
武蔵国府太鼓 翔駒会演奏会
園内の景色/移築古民家
園内の景色・やすらぎの池
リンク:
稲刈りを終え色づく府中郷土の森博物館
あじさいまつりの郷土の森野外博物館
梅まつりの郷土の森公園
梅の花咲く郷土の森博物館1
梅の花咲く郷土の森博物館2
4月中旬の郷土の森博物館
8月下旬の郷土の森博物館
5月下旬の郷土の森博物館
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H30は5/26〜7/8まで「郷土の森 あじさいまつり」が開かれています。
ここ郷土の森博物館は府中市の多摩川の関戸橋と是政橋の間の、やや是政橋よりの北側にあります。もとは砂利の採掘場でこの跡を利用して作られました。敷地は14haあり、東京ドームの約3個分の広さがあります。敷地の中には、博物館、プラネタリウム、復元建築物、水遊びの池、野外ステージ、水車があり、小川が流れています。また売店、飲食店があり長時間楽しめる場所になっています。
自然豊かな広大な敷地には数々の花が植えられていて、四季折々人々を楽しませてくれます。 郷土の森博物館のマップはこちら
武蔵国府太鼓 翔駒会演奏会
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H30は5/26〜7/8まで「郷土の森 あじさいまつり」が開かれています。
大人入園料300円を支払いゲートをくぐると、右手には「博物館とプラネタリウム」があります。このH30の今年は5/26〜7/8まで「郷土の森 あじさいまつり」が開かれ、博物館前に好い気なポスターが掲示されていました。またこの日は、博物館前の芝生で、武蔵国府太鼓 翔駒会演奏会が行われ観客が鳥囲むように大太鼓などの迫力のある演奏を楽しんでいました。
翔駒会の武蔵国府太鼓の演奏会のスナップ
6連の中太鼓の演奏が大迫力!。
園内の景色/移築古民家
説明文:現地看板より トップへ
郷土の森の西側にある「ふるさと体験館」の入口にある旧三岡家長屋門
【旧河内家住宅】
江戸時代中頃から昭和期まで使われていた茅葺の農家です。河内家は旧人見村(府中市若松町)にあり、麦などの畑作や葉酸を営んでいました。人見村は府中市の北東部、立川段丘(ハケ上)を東西に走る人見街道沿いにひらけた村です。調査に寄れば、この建物は天保15年(1844)に旧大沢村(三鷹市)から移築されmその後も明治末期、昭和4年(1929)、昭和33年(1958)に大きな改造があったようです。特に、広間を部屋にクギヂ、棟の空気抜き室・格子欄間・簀天井を設けた明治末期の改造は、保温・通気・採光をよくする養蚕のためのものです。府中で葉酸が最も盛んだった明治末期の姿に復元されました。
【旧越智家住宅】
江戸時代後期から昭和期までつかわれていた茅葺の農家です。明治22年(1889)前後に旧坂浜村(稲城市)から移築されて以来、稲作を中心に畑作や葉酸を営んできた越智毛の母屋として使われてきました。越智のある旧芝間村(府中市南町6丁目付近)は府中市の南部、立川段丘崖の下(ハケ下)に広がる水田地帯の村で、現在の郷土の森博物館はその東側に隣接しています。この農家は寄せ棟造りの屋根と広間を中心にした部屋割りなど古い形式を伝えています。昭和48年(1973)に解体され古材を用いて、多摩川からの辰巳風から母屋を守ったカシグネ(暴風垣)とともに、昭和62年(1987)に復元されました。
水路の水で回転エネルギーを製粉などに利用する「水車小屋」
【水車小屋】
かつて武蔵野地方に広く見られた水車を復元(新築)したものです。府中市域でも、立川段丘崖下(ハケ下)に広がる水田地帯は、網の目のように水路が拓かれ、昭和の初め頃までは、そこにいくつもの水車が活躍していました。この地方の水車は、土地が比較的平坦なため、山間部に見られるような地形の落差を利用した上掛け式の水車ではなく、下掛け式もしくは胸掛け式とよがれる水車です。ここに復元した水車は胸掛け式で水輪の下の水路を彫り込んで落差を設け、回転に勢いをつけさせてものです。小屋の内部には石臼1基、竪杵3基が備えられ、製粉や精米・ワラ打ちなどができる仕組みになっています。
園内の景色・やすらぎの池
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武蔵国府太鼓 翔駒会演奏会
園内の景色/移築古民家
園内の景色・やすらぎの池
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