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国分寺周辺の野鳥
国分寺周辺の野鳥

超望遠レンズなどで撮影した、身近な野鳥や、水辺の野鳥などをご覧になれます。

浜離宮恩賜庭園     

移 動: 海に繋がる水門 池の中央に浮かぶ中島の御茶屋 小の宇島の大藤棚 松の御茶屋 庚申堂鴨場

リンク: 世界貿易センタービル 芝増上寺 芝増上寺 浜離宮庭園 東京タワー

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   徳川将軍家の庭園      トップへ

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浜離宮恩賜庭園の中の橋からみる中島の御茶屋と奥には高層ビル

 海水を引き入れた潮入りの池と、二つの鴨場を伝え、江戸時代には、江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。承応3(16540)年、徳川将軍家の鷹狩り場に、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重が、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました。その後綱茂の子、綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機にこの屋敷は将軍家の別邸となり、「浜御殿」と呼ばれるようになりました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、十一代将軍家斉の時代にほぼ現在の姿の庭園が完成しました。
 明治維新ののちは皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変えました。関東大震災や戦火によって御茶屋など数々の建造物や樹木が損傷し、往事の面影はなくなしましたが、昭和20(1945)年11月3日、東京都に下賜され、整備の後に昭和21(1946)年4月から「浜離宮恩賜庭園」として公開されました。その後、昭和27(1952)年11月22日に「旧浜離宮庭園」(文化財指定名称)として国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。参考資料ー浜離宮恩賜庭園パンフレットより


左ー大手門橋を渡ると石垣の壁が出現します。右ー入口も石垣の門になっている。

   庭園の海につながる水門      トップへ


東京湾につながる横堀水門。 右水門から横堀(潮入りの池)へとつながる。

左ー浚渫船が停泊している横堀沿いは、東京湾の潮の香りが漂います。横堀と池の間には江戸時代からと思われる松があります。

大泉水も潮入りの池で海水が流れ込む。奥には東京タワーが顔を出す。

   中島の御茶屋      トップへ


大泉水(潮入の池)の対岸から見る中島の御茶屋で、後ろには高層ビルが林立しています。

橋を渡って中島の御茶屋へ。大きなテラスがあり和の趣を醸し出しています。中島へ繋がるお伝い橋は長い橋です。

大泉水の中程には中島の御茶屋があります外国人観光客が目立ちました。 

   小の宇島      トップへ


中島の御茶屋を過ぎ小の宇島へ渡って行くと立派な藤棚があります。

   燕と松の御茶屋      トップへ

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燕の御茶屋は平成27年(2015)8月に復元されました。

松の御茶屋の復元に関する説明が丁寧に説明されています。小の宇島の岸には白鷺が魚を狙っていました。
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大泉水の北東にある松の御茶屋は平成22年に忠実に復元されました。

   庚申堂鴨場      トップへ


鴨場には、ヒドリガモ、スズガモ、オオバン、ホシハジロ、オナガガモが居ました。

浜離宮恩賜庭園には2カ所の鴨場があり、このほかに新銭座鴨場があります。

   浜離宮恩賜庭園/御茶屋等の復元      トップへ

 浜離宮恩賜庭園は、江戸時期以来360年の歴史を有し、日本を代表する大名庭園です。明治時代に天皇の離宮となり、現在は国内外から多くの方々が訪れる都立庭園となっています。
【御茶屋等の復元】
歴史的文化遺産としての価値を高め、次世代へ継承するため、戦災で焼失した御茶屋等の復元を進めています。


移 動: 海に繋がる水門 池の中央に浮かぶ中島の御茶屋 小の宇島の大藤棚 松の御茶屋 庚申堂鴨場

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