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国分寺周辺の野鳥
国分寺周辺の野鳥

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 伝祥応寺跡

 本多の黒金山祥應寺    本多花まつり: 35回(2016)  36回(2017)  37回(2018)  38回(2019)  本多祥應寺の歴史

伝鎌倉街道丘にあった伝祥応寺  トップへ

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伝祥応寺跡の景色

 伝祥応寺跡は、東京都府中市武蔵台2丁目にある、「国分寺市立歴史公園 国分尼寺跡」の北側にあります。この一帯は黒鐘公園や府中市武蔵台緑地とつながり、広大な緑多い地区になっています。この伝祥応寺跡は切り通しで作られた「伝鎌倉街道」の西側の丘上にあります。この丘の西側には黒鐘公園と道路を経て繋がっています。歴史公園の北側でJR武蔵野線高架の西側には広い原っぱがあり天気の良い日には、家族連れで賑わいます。


伝祥応寺跡でんしょうおうじ(中世寺院跡)

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伝祥応寺にある石碑(画像修復)

 本跡は尼寺伽藍がらんのの一部とする説もあったが、近年の調査によって、鎌倉時代末頃に建てられた寺跡と判明し,本多四丁目の祥應寺の前身にあたると考えられている。旧鎌倉街道といわれる切り通しに東面した 土塁( 底部幅3m高さ1.2m以上)と溝とで東西3 0m,南北45mの長方形の区画が形づくられている。現存する大小15個の礎石の分布などから、東西9m南北18mほどの規模の堂がその中央にあり瓦を用いない建物だったと推定される。
 出土品には鉄製風鐸ふうたく板碑いたひ。銭貨などがある。 伝祥応寺跡石碑より引用

伝鎌倉街道と伝祥応寺  トップへ

 この丘を切り通して造った伝鎌倉街道の南からすぐ西横に伝祥応寺跡への階段があります。コンクリート製の幹が並べられていますが、土部分がかなりえぐれていて非常に歩きにくくなっています。足の悪い方や、お年寄りは降りるときに引っかかって転倒する場合がありますので注意が必要です。

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何者かによって壊された石碑

 この階段を登りきり、北へ少し歩くと行ったが広場になっています。ここには、伝祥応寺跡の石碑が置かれています。この石碑によりますと、この広場の幾分西側の黒鐘公園寄りに寺院があったようです。どこでもそうですが、せっかく設置されている説明用の石碑がヒビが入って読みづらくなっています。一応上の石碑の分は写真より解読したものです。文化財に関わるものは大切にしていただきたいと思います。

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伝鎌倉街道の南入口で左側が伝祥応寺跡の丘の入口で右は国分尼寺北方の塚
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伝祥応寺跡への階段と伝鎌倉街道の切り通しと伝祥応寺正面から尼寺北方の塚への階段
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緑が多い伝祥応寺があった丘上の広場で、手前は尼寺北方の塚、奥は黒鐘公園へと繋がっています。
撮影:NikonD750+AF-S NIKKOR 24-85mmVR

尼寺北方の塚  トップへ

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伝鎌倉街道の東にある階段で伝鎌倉街道をはさみ、向かいはは国分尼寺北方の塚につながります。
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尼寺北方の塚を登ると東側はJR武蔵野線の線路でさらに東は府中街道となっています。
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尼寺北方の塚の南の出口は、黒鐘公園の東の広場につながります。

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