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国分寺市立歴史公園/僧寺・金堂跡 武蔵史跡公園・金堂と七星塔跡 トップへ
武蔵国分寺址の場所は、JR中央線とJR武蔵野線の交わる西国分寺駅の南南東約1kmにあります。現在残るお寺は当時からの物ではなく、後に建立されたものです。こちらからは、お鷹の道の西端になり湧水から流れ出た水路が下流の一里塚で野川と合流します。また周辺には、多くの遺跡があり往事の繁栄を見ることができます。 武蔵国分寺講堂跡 トップへ 武蔵国分寺の講堂跡は上の地図の中心の赤枠の上部に位置していたと云われています。現在の武蔵国分寺の本堂や楼門から南の位置にあり、武蔵国分寺史跡鋼の北側に位置しています。
「講堂は、教典の講義が行われた建物です。武蔵国分寺の講堂は、桁行5間、梁行き4間の二面庇の東西棟礎石建物として8世紀中頃に創建されましたが、9世紀後半に東西両側に各1間を増築して、金堂と同規模である桁行7間の四面庇建物として建替えられました。 武蔵国分寺金堂跡 トップへ
武蔵国分寺跡は現在の府中街道の東側にあり、寺域の回廊に囲まれた中には南に金堂・北に講堂があり、西には西僧坊、東には東僧坊と時刻を知らせる鐘楼がこの東僧坊の西どなりにありました。(右上の図参照) 七重塔跡 武蔵国分寺跡 トップへ
「七重塔跡は、金堂・講堂跡から東方200メ-トルのところに位置します。塔は「金字金光明最勝王経
」を安置する国分寺の重要な施設で した。3間(約10メートル)四方の礎石建物で、高さは約60メートルほどあったと推定されます。現在、中央にほぞ穴(心柱を受ける穴)がある心礎を含め7個の礎石が残っています。
※金光明最勝王経とは
【七重塔跡/現地説明板より引用】
「国分寺造営の詔に「造塔の寺は国の華たり」と象徴的に記されている塔は「金字金光明最勝王経」を安置する国分寺の重要な施設でした。 武蔵国分寺周辺 1 2 3 4 5 6 7 8 次は・真姿の池湧水ほか
写真撮影:NikonD7000+VR16-85mm,D80,NikonD800+24-70mm,NikonD500+VR16-35mmf4
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