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仁王門・薬師堂エリア:武蔵国分寺の寺域 武蔵国 國分寺の本堂と寺域 トップへ 武蔵国分寺の寺域には本堂、万葉植物園、国分寺楼門、国分寺薬師堂があります。こちらでは、西にある国分寺に国分寺仁王門と国分寺薬師堂を写真と現地の看板の説明文でご案内いたします。※上のマップはクリックで拡大します。 武蔵国 國分寺の仁王門と薬師堂 トップへ 武蔵国分寺の寺域には本堂、万葉植物園、国分寺楼門、国分寺薬師堂があります。こちらでは、西にある国分寺に国分寺仁王門と国分寺薬師堂を写真と現地の看板の説明文等でご案内いたします。
武蔵国分寺仁王門は、現武蔵国分寺の西側の国分寺崖線の中腹にあります。仁王門の入口から、石段が続き石段を一番上まで登ると薬師堂があります。このように仁王門と薬師堂はほぼ一直線状に配置されています。仁王門は、寺院を守護する金剛力士像を安置した寺院の門となっています。
国分寺仁王門の由来 (国分寺市HP:仁王門より引用) トップへ 「天平13(741)年,聖武天皇は鎮護国家を祈念して,諸国に国分寺を建立するように命じました。現在の国分寺市が含まれた武蔵国では,国府(現府中市)に近く,都へ通じる東山道武蔵路沿いの広大な平地と東西に連なる国分寺崖線の麓,豊かな湧水をもつ現在の西元町一帯が好所として選ばれ,東山道武蔵路を挟んだ東西に「僧寺」と「尼寺」が建立されました。 武蔵国分寺は,国府とともに政治・文化の中心として栄えましたが,元弘3(1333)年の新田義貞による鎌倉攻めの過程で起きた分倍河原の合戦により焼失し,その後,義貞により薬師堂が再建されたと伝えられています。 仁王門は,寺を守護する仁王像を左右に安置した門で,現在の薬師堂の前に建つ仁王門は,寺伝によれば,寶暦年間(1751~1764年)の建造で,使用している木材の一部は,義貞が再興した薬師堂の古材を使用していると伝えられています。8本の柱はそれを裏付けるようなほぞ穴が残り,風蝕を受けてはいますが,太く力強い姿を残しています。門内に安置されている2体の仁王像は高さ約2.5mあり,胎内の木札に享保3(1718)年造立と書かれています。」 本文:国分寺市ホームページ:仁王門より引用市指定重宝 国分寺薬師堂 (現地看板より引用) トップへ
「薬師堂に安置されている木像薬師如来坐像は、平安時代末期あるいは鎌倉時代初期の製作と考えられ、作者は不明です。 武蔵国分寺周辺 1 2 3 4 5 6 7 8 次は・国分尼寺跡
写真撮影:NikonD7000+VR16-85mm,D80,NikonD800+24-70mm,NikonD500+VR16-35mmf4
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