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東京都府中市 浅間山公園 移 動: アクセス 浅間山の地形 浅間山神社 浅間山について リンク: 浅間山公園の野鳥
府中市の自然林「浅間山公園」へのアクセス トップへ
東京都府中市若松町にある浅間山公園は、府中市の北東に位置し、周辺の北東側には広大な多磨霊園、西側には、平和の森公園と府中の森公園があります。府中市のなかでも緑が多い区域となっています。 浅間山公園の地形 トップへ
浅間山公園の浅間山は標高79.6mで、周囲との高低差は約30mとなっています。戦時中は陸軍の弾薬庫として使われていて、現在は府中の森公園の北側が、旧陸軍燃料廠跡となっています。この様に戦時中は陸軍の重要施設だった様です。現在の浅間山公園の周りは、多磨霊園の地区を除きほぼ周りを住宅に囲まれています。また、この公園がある区画の南東側には浅間山公園より遥かに広大な「明治大学府中グランド」があります。 浅間山公園の西側の新小金井街道沿いの入口と手すり付きの木道 浅間山公園の中山に通じる階段と浅間山のムサシノキスゲの説明板 中山に設置されている浅間山公園案内図 浅間山通りの上に架かる「きすげばし」 堂山の東側には「多磨霊園」が広がります。 堂山の東側には「浅間山通り」が通り、「多磨霊園」が広がります。 堂山の「浅間山神社」 トップへ 【浅間山】浅間山は前山・中山・堂山の三つの小さな峰からなり、その名は堂山の頂きに祀られている浅間神社に由来します。海抜八○メートルで、周囲との高さの差は三○メートルに過ぎませんが、周囲にさえぎるものがないため、眺望はなかなか良好です。 この浅間山は、地質的にみると、多摩川対岸の多摩丘陵と同じで、古多摩川やその他の河川により周囲がけずり取られ、ここだけが孤立丘として残ったものと考えられています。 また浅間山を中心に、その周辺に広がる人見ヶ原の地は、かつて南北朝時代の正平七年(1352)、足利尊氏と新田義興・義宗兄弟の軍が両朝の命運をかけてたたかった古戦場であり、都の旧跡に指定されています。 昭和六十年一月 府中市教育委員会(現地看板より引用) |