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地の利をいかした産業/青梅市郷土博物館 移 動: 川が運搬を手伝った林業 川が運搬を手伝った林業 当時の筏流しの風景 青梅林業株式会社の製材工場 多摩川の観光船下り リンク: 青梅市釜の淵公園 青梅市郷土博物館 地の利を生かした産業 川がもたらした地形 重要文化財 宮崎家住宅 釜の淵公園(10月下旬) 釜の淵公園(12月中旬) 釜の淵公園(12月下旬) 紅葉の釜の淵公園(11月下旬) 川が運搬を手伝った林業 トップへ 山の地形を削ってできた多摩川上流部は、豊かな森林資源を運搬するのに最適な運搬路でした。このなかで、この青梅郷土博物館で写真が展示さえていたのは、奥多摩町の「古里附の土場」「青梅市澤井1丁目の青梅林業株式会社の製材工場」「軍畑製材所」「多摩川の観光船下り」が紹介されています。 【奥多摩町
土場とは、筏を 御岳周辺の当時の筏流しの風景 トップへ
御岳駅周辺は、風光明媚な景勝地ですが、これは巨岩が点在し高低差の作る急流がある変化ある場所であるからです。しかし伐採した長い材木を筏に組んで運ぶには最大の難所とも云えます。左下の写真は、御岳駅正面にある御岳駅の下流にある御岳小橋の下流の風景で、正面(南面)の岸壁で丁度吉野街道の2つ続くトンネルの下あたりの景色です。
【川筋の難所 御岳小橋下流「障子岩」付近】 青梅林業株式会社の製材工場 トップへ
下の写真の青梅林業株式会社のあったと言われる。沢井1丁目とは、青梅街道と吉野街道を結ぶ軍畑大橋の旧青柳利助商店のあたりから、軍畑大橋下流の平溝川の合流までのあたりを言います。昔と今とは景色は変わっていると思います。それらしい場所といえば、青梅街道から「煉瓦堂朱とんぼ」の少し沢井側にあります。街道からかなり下った低い位置に資材置き場のような場所がありますが、もしかしたらこの場所が製材工場だった可能性があります。 沢井1丁目にあった青梅林業株式会社の製材工場の写真です(昭和30年頃)。山から降ろした長杉材を出荷する準備(荷役)を行なっている様子が写っています。(資料提供:福島和夫氏)
多摩川の観光船下り トップへ 当時から御岳は東京の観光地として人々を集めていました。下の説明では御岳小橋から出ていた観光舟ということです。こちらは、御岳小橋の右岸にあたります。この右岸は岸沿いに砂利が溜まり流れが緩やかですので、下の写真は、御岳小橋のできる前でしょうか?橋は見えませんが、観光舟の大岩は、現在は削られていますが、御岳小橋の下にある大岩に間違えないと思います。また川上流の右奥にかかる橋は、御岳駅前の御岳橋ですが、現在ののRCコンクリート製ではないので、の先代のものと思われます。
【多摩川の観光船下り】 青梅の観光拠点だった御岳小橋周辺 トップへ これらのことを考えると、青梅市の御岳は、観光の拠点として、御嶽山、御岳渓谷、昭和初期まであった観光船下り、1961年には玉堂美術館の開館など観光のメッカと発展していきます。
青梅市郷土博物館
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