|
江戸東京博物館/町の暮らし 移 動: 上水井戸と上水 長屋の生活 江戸指物 時報と消火 貸本屋の役割 出版と情報 情報誌:瓦版 リンク: 国立科学博物館 大宮鉄道博物館 江戸東京博物館 江戸東京たてもの園 府中郷土の森博物館 ガスミュージアム 氷川丸 日本丸 所沢航空発祥記念館 ふれあい下水道館 サントリー武蔵野工場 江戸東京博物館 1 2 3 4 5 6 7 次は‥江戸の商業 5F 町の暮らし/上水井戸と上水 トップへ 玉川上水 資料:江戸東京博物館 玉川上水説明板より 玉川上水は江戸の人口の増大にともない、それまでの神田上水や湧水・井戸だけでは対応が難しくなったことから、承応年間(1652~1655)に計画開削された上水道である。多摩川の水を羽村で取り入れ、武蔵野台地上を経て、四谷大木戸までの約43キロメートルを開渠で通した。四谷大木とからは石樋や木樋を使用した暗渠となり、四谷御門、半蔵門を経て江戸城に入る水路を始め、武家屋敷や江戸の町々にも配水された。開発は庄右衛門、清右衛門の2人が請け負って1653年(承応2)、羽村から四谷大木戸までを、さらに翌54年、虎ノ門まで掘ったとされる。この両名は、玉川上水完成後、玉川の姓を与えられた。 玉川上水は羽村から四谷大木戸まで高低差が約90メートル余りであり、その傾斜は100メートルにつき20センチメートル下がるというと緩やかなものであった。日本国内においても玉川上水と同様の水道設備は各地で見ることができ、当時の測量・土木技術のたかさをうかがわせる。
上水井戸の構造
江戸市中には、上水を流す樋が道路下に埋設され水を供給していた.そのようにした運ばれてきた水は、長屋に設けられた上水井戸をとおして人々の元に届けられた。上水井戸は、地中でそこをくり抜いた桶(おけ)をいくつか重ねて水を溜めおき、必要な時に竹竿の先に取り付けた小さい桶で組み上げる仕組みとなっている。
(説明板より) 5F 町の暮らし/長屋の生活 トップへ
江戸の暮らしは、歴史で培われた経験などが随所に活かされています。また、物を大切にする心や、糞尿などは、畑の肥やしに使うなどリサイクルの原点があります。衣・食・住など人々が住める環境が整ってきて江戸の町の人口が増えてきました。
井戸・ごみ溜め・雪隠・稲荷 ここで再現されていたのは、庶民生活が表現された長屋の部屋です。寺子屋、一般の長屋の部屋、指物師の部屋、道具が並ぶ染め物師の部屋などが再現されていました。 江戸指物 指物とは、いた財を組み合わせて作る木工のことで、日本でも古くから技術が発達しているが、特に発展したのは江戸時代からである。各製品が中心で、箪笥(たんす)・机・椅子・茶棚などの大物と、硯箱(すずりばこ)・煙草盆(たばこぼん)などの小物とがあり、高級品から一般品まで技術の幅は大変広い。 指物にたずさわる職人は、指物師や指物屋と呼ばれ、居職(いじょく)が基本である。細かな行程と成功で緻密な作業を要し、道具は鑿(のみ)・錐(きり)・鉋(かんな)を中心に、種類・大きさともにさまざまある。指物は各地で発達しているが、江戸指物は簡素の中に堅牢な作りを特徴とし、伝統を引き継ぎ職人が今も細作を続けている。 (説明板より) 5F 町の暮らし/時報と消火 トップへ
人口が増加して、長屋などが接近して作られると、燃え易い材料で作られた日本家屋では大火事がつきものでした。消火法は消火ポンプなどがない時代でしたので、「破壊消火」で火が延焼しないように周りの建物を取り壊すというダイナミックな物でした。火消し達の組の目印の纏(まとい)が展示されています。こちらは、実際振り回すことができるようになっていますが、重量は15kgあります。 5F 出版と情報 トップへ
貸本屋の役割 江戸時代に沢山の人々に正確で同一の情報を伝えるのには、瓦版など版を使って同じ物を作る必要がありました。それには、桜などで文字や絵を彫った版木が必要となりました。
江戸の瓦版売り 江戸東京博物館 1 2 3 4 5 6 7 次は‥江戸の商業 移 動: 上水井戸と上水 長屋の生活 江戸指物 時報と消火 貸本屋の役割 出版と情報 情報誌:瓦版 リンク: 国立科学博物館 大宮鉄道博物館 江戸東京博物館 江戸東京たてもの園 府中郷土の森博物館 ガスミュージアム 氷川丸 日本丸 所沢航空発祥記念館 ふれあい下水道館 サントリー武蔵野工場 撮影したカメラとレンズを見る CHSのIROIROサイト:人気サイト トップへ |